山崎晃嗣という天才と全共闘

山崎晃嗣を知ったのは堀江もんについて詳しく調べているときだった。

livedoor事件が有名になったとき、山崎晃嗣による光クラブ事件という1950年代の事件との類似性が指摘されていた。

彼の詳細な経歴についてはwikipedia等のwebサイトで詳しく知る事ができる。

彼の特徴的なところはエネルギーの源が憎しみだとか、恥をかかされたとか、

恨みに起因するところが大きいところだと思う。

そこにはすごく共感した。

 

記述が真実であれば、という仮定があるが、この高利の闇金業を始めた理由も

信頼できそうな人に10万円程度の運用を頼んだ結果、そのままお金を持って

いなくなってしまったことが大きいのだとか、それ以外にも女性に対して

やたらと戦略的だったり、人を本当に見下している部分が見受けられた。

残っている彼の書物の中には人を信じるべきではないとの記述があるにもかかわらず、

最終的に彼は味方だと心の奥底では思っていた仲間に裏切られる形になってしまう。

 

彼とは頭の良さに天と地ほどの差があるだろうけど、モチベーションには物凄く共感できたのを覚えている。

僕が高校時代頭が悪かったにもかかわらず国公立の某大学に入学できたというのは

周りから陰で馬鹿にされていたことが大きい。

空手を死ぬほど頑張っていたのも長い間いじめられていた影響が大きい。

更には女性遊びが激しいと言われる所以は中学校の頃の恋愛が効いていると思う。

 

ここから派生して東大や日大で起こった全共闘に非常に興味を持った。

そして三島由紀夫にも。

全共闘は今の時代では考えられない学生団体だった。

例えば東大の全共闘が発足したきっかけは医学部のインターン生が冤罪で退学処分を勧告されたことがきっかけだっただろうか?

その大学側の態度に対して学生側が大学に対して処分を撤回するように行動をしかけたのが全共闘の始まりだと理解している。

 

そしてバリケードを張って授業を妨害して、訴えを認めさせた。

しかし、その中の一部はその要求が通った後も過激な行動を続けたとか。

今、イスラム国が台頭してきているけど、この過激派ににてるんじゃないの?

一度テロなどに成功して、自分たちの要求が世界に通るんだという快感を覚えたら

止まらないということじゃないの?違うのかな?

 

無差別に人を傷つける行為は肯定しないけど、

全共闘のように不公平だとか、不正に対して気持ちをぶつけられる人は今の時代

いなくなってしまったのかな?

この話誰かにしたら、SEALDSあるじゃんって言われたから国会での答弁みたけど、

抽象的な話しかしていなかったなぁ。

何が悪くてどう変えてほしいのか、そして理想はなんなのか。主張がまるで見えなかった。

 

最近すごく考えることは、人間はお金で生活しているからお金を稼ぐために

いろんな手段を考えると思う。

そして進化していくんだと思う。

でも、その中で何かがすごく失われているような気がしてならない。

人と人との関わり合いなのかな?

俺たちは助け合って生きてきたんじゃないのかな。

"気持ち"の部分が抜け落ちていると感じているのだろうか。

きっと昔の人に自分が感じた人間らしさを現代のヒトに感じないからなんだと思う。

 

世界を見に行きたい。お金ないけどw

 

就活と不安感

去年の10月くらいから就職活動をぼちぼちし始めて、もう半年が経とうとしている。

ぼちぼち皆様内定が出ているようだ。

そんな話をしていると、「内定どこもらった?」と聞かれるが、0でーすw

 

そして内定もらったところ行くの?と聞くと、だいたい内定は一つは持っておきたいとのこと。

確かにどこにも内定決まらずに落ち着かないのが嫌なのと、どこにも就職できないんじゃないか、という不安感が常に付きまとっているのだろう。

その気持ちはよく分かるし、この手の話をしてると無限にエントリーしそうになる。

(不安だからとりあえず受けまくって内定だけ、どこかくれ!!)という感じになりがち。

 

ポンコツな僕が言うのもなんだが、きっと進むべき道にみんな行くのだと思う。

だから自分の直感に任せて就職活動したけりゃすればいいし、しなかったらしなかったできっと目の前のことを頑張って楽しんでやってれば、何か卒業するときくらいにはやってるでしょう。

 

人間社会って不思議だなぁと思う。大昔は物々交換をして協力して人々が暮らし、それがだんだん人間が利便性を求めるようになり、お金というものが考えられてそれを使って欲しいものが買えるようになった。

自分ができることをして得たお金を使って欲しいものを買うのである。ごく自然。

 

だが今は大半の若者が高校、大学と進学し、存在している会社の中のどこかに所属をして給料と呼ばれるお金をもらい、暮らしている。

そしてそのもらったお金に対して少ないなぁと文句を言ったり、残業が多くて疲れるなど。

 

なぜみんなが高校、大学へ進学し勉強をするんだ?

そこがすごく不思議なところ。

したくもない勉強をさせられ、競争を強いられる。(人によるけどね)

みんな競争するために生きてるの?

きっと毎日が忙しく過ぎていって、思考が目の前の事柄に注目すると、自分がどうして

生きてるのかとか、何がしたいんだっけとか、どんな人間になりたいかとか、

幸せってなんだろう?とか考えることが少なくなっていくんだと思う。

 

成長はきっと素晴らしいことなんだと思う。

進歩によって救われる命も多くなったし、便利にもなった。

就活で不安を感じない人はあんまりいないと思うが、自分の核を見つけて守ることの

方が大事だなぁと、それにしても東京は人が怖いなぁ。

 

時代と人の感情

先日のブログでも人が生きる意味みたいなものについては書いてみた。

発展するために生きるのか、幸せを追及するために生きるのか。

 

時代の流れというものがある。インターネットが発達して浸透した。

そしてスマートフォンが現れ、その中で人々は連絡を取り合うようになった。

近い将来、もっと手軽な形でメッセージを伝えられるものが現れるかもしれない。

世の中は生活を豊かにする方向に発展する。何故なら金になるから。

 

個人的にはもっと感情を全面に押し出した活動が好きだ。

利益重視型の社会は必ず必要だと思う、金が無いと大きなことは

何にも出来ないんだから。

ただ、その一方で歴史上では利益重視などではない、異端児がたくさんいた。

例えば光クラブ事件を起こした山崎晃嗣もそうだと思うし、

全共闘バリケードを張っていた彼らも。

今の時代ってそういうのあんまりないなぁ。

Sealdsだっけ?何かそんなんあったけど、国会での答弁みたいなの聞いてほんとがっかりした。

なんか別の目的があるようにも見えた。

本当に人のために何かしようと思ってたらあんな感じにはならないのでは?

 

結局は時代が進んでいくにつれて人間の良さみたいなものが知識だけに集約されていく

感じがして怖いという話でした。ちゃんちゃん。

みんなどこに向かって生きてるんだ?

この世の中は騙し合いだと思う。
自然淘汰があまり起きないのが人間なのだとも思う。
強いものが生き残り、弱い者は死ぬ。
そうやって連鎖などが生まれ、ここまで人類が発展してきた。
この先には何があるのだろう。非常に気になるところだ。
ホセ・ムヒカ大統領が言った。
人間は発展するために生まれてきたわけじゃない、と。
それは非常によくわかるし、俺たち日本人の心にはより響いたことだろう。
きっとみんな思ったはずだ。
そうだ、発展するために俺たちは生きている訳ではない、と。
ただ、次の日から仕事が始まる。
こうやって客観視できてるように書いてるけど、自分もそうです。
みんな結局発展に寄与していく。
毎日自分をすり減らして家族のためだからと言って金を稼ぎに行く
そして人類の発展に人生を捧げる。
もしくは企業の利益のためと言っても過言ではないかもしれない。